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ッシャーはありません。主なプレッシャーは、むしろ商業部門からきております。商業地域を住宅開発あるいは商業開発の目的に利用したいという圧力があるわけです。
(スライド映写)
○今度は歴史をご紹介してみたいと思います。このプロジェクトの歴史を見ますと、ほかのウォーターフロントプロジェクトと類似しております。開発の多くは埋立地で行われております。埋立地は、鉄道や港湾設備の開発のために使われております。
○その後、こういった開発は陳腐化して、古い設備となってしまいました。ダーリングハーバーとそのほかの港湾地域の違いは、機能的に古くなってしまったということですが、それが様々な用途で使われている地域で、同時に陳腐化してしまったということです。ニュー・サウス・ウェールズ州政府は、この土地の利用について、様々な調査をしてまいりまして、再開発を行う唯一の方法は、政府がリーダーシップを取ることであるという結論になりました。インフラ投資は膨大な金額が必要でありましたので、民間部門では到底賄いきれないと思われました。
○こちらのスライドは、古い港湾設備でありますが、ご覧のように、高速道路がこの写真を撮った当時はまだ建設中でした。ほかの港湾設備と同じように、ダーリングハーバーも町の中心地と分けるように高速道路が走っております。
もう1つの特徴は、ニュー・サウスウェールズ州政府が、州の人々に1988年の200周年記念行事の一環として国民に提供しようとしたということです。そのために、このプロジェクトは急ピッチで進められました。1984年に、このプロジェクトは1988年にはオープンすると決められました。1984年から88年の間、マスタープランが完成されまして、古い建物を取り壊し、建設が始まりました。
○マスタープランニングは、建物をこのように様々な場所に立地し、いろいろな施設を計画いたしました。
○これはシドニー・コンベンションセンターです。
○展示会場と公園です。
○これは駐車場です。これは州政府の資金によるものです。と申しますのは、民間資金は金利支払いのプレッシャーもあるということで、予定どおりに民間投資だけでは駐車場ができないという判断があったからです。
○1988年のプログラムが達成されまして、ダーリングハーバーは1988年7月に使われるようになりました。ダーリングハーバー・オーソリティーは様々な特権を与えられております。通常の環境影響規則や、通常の法律から免除されております。今は環境影響評価は必要となっておりますが、当時は必要ではありませんでした。所有権は道路当局、港湾当局、鉄道当局からすべてダーリングハーバー・オーソリティーに何の報酬も支払われずに権利が移されました。ダーリングハーバー・オーソリティーは、特に建設に許認可を受ける必要がありませんでした。そして、オーソリティーが民間の開発に許認可

 

 

 

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